水道の歴史

2008年9月30日

皆さんこんにちは。
突然ですが私たち人間は1日にどれくらいの水を必要としていると思いますか?

少なくとも2リットルから3リットルは必要だと言われています。
人間が生きていくうえで水は空気とともに欠かす事のできない大切なものなのです。

人間は昔から湧水のあるところや川の流域など、飲み水を手に入れやすいところに住居を構え生活してきました。
しかし、次第に人口が増えていくと人間は水を簡単に手に入れることができない土地にも進出し、井戸を掘ったり川に堰を設けて水路などを引いて水を手に入れるようになっていきます。
そこで今回は水道の歴史について少しお話したいと思います。

相鉄線西谷駅の南に位置する水道山の上に横浜市水道局の西谷浄水場があります。
これからお話しするのは西谷浄水場がまだ影も形もなかった時代に日本最初の近代水道を完成させた一人のイギリス人のお話です。

1859年(安政6年)、安政の五カ国条約にもとづいて横浜港が開港し、外国商人が移住してきました。国内からも貿易を志して大勢の売込商が集まりました。人口の増加が激しくなり、神奈川県は近代水道を建設する必要に迫られたのです。
(近代水道とは浄水場で原水を沈殿、ろ過し、鉄管を使用して加圧給水したもの。)
しかし横浜などの開港都市では、ほとんどの井戸水が塩分を含んでいた為飲み水には適していませんでした。また、コレラ・チフスなど消化器系の伝染病にも苦しんでいました。
いつでもどこでも安全で良い水が欲しいというのが人々の夢でした。

神奈川県はイギリス陸軍のH.Sパーマー中佐を顧問として1885年(明治18年)近代水道の建設に着手。
パーマー中佐は水源の調査から着手し、利根川・多摩川・相模川のうち相模川の水源が水道水として最も適していると判断を下しました。
そこで、相模川と道志川の合流点に取水口を設定し、蒸気式ポンプで汲み上げた水を導水管を通して野毛山の浄水場まで可能な限り直線的に運ぶように図面を引きました。パーマー中佐は全ての資材をイギリスから輸入し、約44kmの距離を途中に橋梁を造り、トンネルを掘るなどの大工事となりましたが、わずか2年で完成させました。
その後パーマー中佐は横浜のほかにも、大阪・神戸・函館・東京などの水道計画にも貢献するなど日本の水道の文化を大きく発展させました。

普段何気なく使われている水道も歴史を知る事で少し違った見方が出てくるかもしれませんね。

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