関宿城博物館で水防工法を学ぶ!

2019年4月

こんにちは!エフくんです!今回は千葉県野田市にある
関宿城博物館で川と人々の暮らしを学んできたよ!

ここでは利根川や江戸川と人々の歴史を紹介しているよ!
川は人の生活を育んでいた反面、洪水が起きるせいで時には
脅威にもなっていたんだ。
それに対し、人々がどういった対策をしていたのかを学んできたよ。

へー!
昔の人はそんなに川に悩まされていたんだね。

水塚(みづか)っていう、洪水になったときの避難場所が
作られていたことから、頻繁に悩まされていたことがわかるね。

平地だと洪水の度に水浸しになってしまうから、
土を盛って高台を作っていたってことか。

3~5メートルくらい土を盛っていたそうだよ。
当時は手作業だろうから、大変だっただろうね。

たしかにそうだね。
他にはどんな対策をしていたの?

木を使って川の水流を緩やかにしたり、
川が溢れないように川底の砂利を除去して流れをよくしたり、
川と共に暮らすために様々な水防工法をあみ出していたんだ!

木を使って水流を緩やかに??

川の流れが強いと堤防の表面が削れてしまうんだ。
それを防ぐために「木流し」という水防工法があみ出されたんだ!
茂った木を45度の方向で固定して流すことで木の抵抗力を利用
して水流を緩やかにする方法だよ!

なんだか時代を感じる工法だね。先人の知恵って感じ。

1822年頃には「関宿棒出し」といって、川の対岸に棒状の石等を
いっぱい設置することで川幅を意図的に狭め、水量を抑制して下流を
水害から守るっていう方法も紹介されていたよ。
昭和2年の水門完成を機に撤去されたみたいだけど。

今は当たり前に存在する水門の前身があったんだね。
そういうのって当時はいったい誰が管理していたの?

関宿藩っていう現代の野田市に存在していた藩が管理していたみたいだよ。
他にもいくつか水防工法が紹介されていたけど、
一番驚いたのは浚渫(しゅんせつ)工事だよ!

難しそうな名前!どんな工事なの?

浚渫船という船を使って川底の砂利等を除去する作業だよ!
少し時代は飛んで、1966年頃から平成初頭にかけて行われた作業だよ。
これによって川の流れがよくなることで水が停滞しづらくなって
洪水対策になるんだ。

そうした大がかりな工事を経て今の川の形があるってことか!
浚渫船を作れる技術ができてから水防工法の幅も広がったってことだね。

いや、浚渫船ができる前の時代も板鋤簾(いたじょれん)
っていう農具の鎌の大きい版と滑車が付いた船で作業してい
たっていうから驚いたよ!

えー!それは大変!

前に「川回し」を学んで、川の流れを意図的に変えることは
知っていたけど、川底まで人の手によって形を変えていたとはね。

そうまでしないと人と川が共存するのは難しいということなんだね。
昔から長い間、人の努力があって今の私たちの快適な住居環境があると
思うと感謝の気持ちでいっぱいになるね。

本当にそうだね!
ちなみに浚渫工事は今も海の港を作る時とかにやってるんだって!
今回は僕も色々と学んで勉強になったよ!
それと、この関宿城博物館は橋を挟んで隣接している公園に
水防工法で使われた設備が一部展示されているんだ!
博物館で学んで、実物を見て、とても勉強になったな!

これが関宿棒出しの棒なんだね!
博物館で学んだものを実際に見れるっていいね!

読んで学んで、見て学んで。
今回学んだ知恵や発想、昔の人の想いを
今後の僕たちの水環境整備に役立てていくよ!

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